「童心」
流星トリオの仲間かつブロ友のカッシーさんの記事を読んで、
「童心」
について考えてみました。
童(わらべ)の心(こころ)と書いて「童心」。
一般的には「子どものように、純粋で汚れのない心」という意味で使われるようです。
では、その逆は「大人のように、純粋でなく汚れのある心」となるのでしょうか(笑)。
私は思うに、
年齢を重ねて純粋でなく汚れのある経験を乗り越えてこそ、
純粋で汚れのない心が際立ってくるのだと思いました(笑)。
日の当たる場所しか知らないのでは、
影のことはわからない。
影を知ってこそ、
日の当たる場所のありがたみがわかるのではないでしょうか。
思えば、近年のワタクシは、
ピアノをやり、
自然に触れ、
信念に基づき主張し、
旅行に行き、
ベリーダンスして(笑)…。
今ほど純粋で汚れのない心で過ごした時代はアリマセンです(爆)。
社会の仕組みに慣れ、それを利用した上で、
「童心」に到達できつつあるのかもしれません
あ、
たまに煩悩が頭をもたげることがあります(笑)。
それはたまに訪れる、隣の芝生が青く見えるときです。
基本的に人と自分を比べることはしないのですが、
全くなくはありません。
カッシーさんの記事へのコメントに、
「カッシーさんは98パーセントが童心、残り2パーセントは煩悩(笑)」
なんて書きましたが、
ワタクシは「90パーセントが童心、10パーセントは煩悩」といったところです(爆)。
では、皆様、よい週末を
「童心」
について考えてみました。
童(わらべ)の心(こころ)と書いて「童心」。
一般的には「子どものように、純粋で汚れのない心」という意味で使われるようです。
では、その逆は「大人のように、純粋でなく汚れのある心」となるのでしょうか(笑)。
私は思うに、
年齢を重ねて純粋でなく汚れのある経験を乗り越えてこそ、
純粋で汚れのない心が際立ってくるのだと思いました(笑)。
日の当たる場所しか知らないのでは、
影のことはわからない。
影を知ってこそ、
日の当たる場所のありがたみがわかるのではないでしょうか。
思えば、近年のワタクシは、
ピアノをやり、
自然に触れ、
信念に基づき主張し、
旅行に行き、
ベリーダンスして(笑)…。
今ほど純粋で汚れのない心で過ごした時代はアリマセンです(爆)。
社会の仕組みに慣れ、それを利用した上で、
「童心」に到達できつつあるのかもしれません
あ、
たまに煩悩が頭をもたげることがあります(笑)。
それはたまに訪れる、隣の芝生が青く見えるときです。
基本的に人と自分を比べることはしないのですが、
全くなくはありません。
カッシーさんの記事へのコメントに、
「カッシーさんは98パーセントが童心、残り2パーセントは煩悩(笑)」
なんて書きましたが、
ワタクシは「90パーセントが童心、10パーセントは煩悩」といったところです(爆)。
では、皆様、よい週末を