2012年6月23日 岩手日帰り弾丸ツアー2

 
龍泉洞を後にし、さらに東に進路を取り、海岸沿いの「北山崎」を目指します。
 
【北山崎概要】
高さ200メートルものリアス式海岸の断崖が8キロにわたって続き、
海のアルプスともいわれている。
 
 
北山崎からの眺めは風光明媚でした(下参照)。
少し雲ってはいますが、リアス式海岸の様子をうかがい知ることができます。
バスガイドさんから、この地に残る「矢放い場と矢越岬の伝説」を伺いました。
伝説によると、
下の写真の一つ目の岩(穴が開いている岩)から矢を放ち、
写真奥の矢越岬を通り越し、
その先の松島(写真では霞んでおり写っていない)まで矢を放ったことになります。
 
【矢放い場と矢越岬の伝説】
昔、大変美しいアイヌの娘がいました。二人の若者がその娘に恋をしました。娘はどちらを選ぶか迷いましたが、矢競べをさせ勝った若者と結婚しようと決心しました。娘は、二人の若者を見晴らしのよい断崖(矢放い場)へ連れて行き、「ここから思い切り矢を放ち、遠くへ飛ばした方に嫁入りします。」と言いました。二人の若者は渾身の力をふりしぼり矢を放ちました。一人の若者の矢はすぐに海に沈み、もう一人の若者の矢は岬(矢越岬)を越え、鳥越の松島まで飛んでいったという事です。松島に突き刺さった矢はやがて矢竹となり原生しています。
 
 
 
北山崎の休憩所近くの松林。
この近くにはお土産ものが売られていて、
Tシャツを購入しました♪
 
 
おみやげもの屋の近くでパチリ♪
Yさんが撮ってくれました。。。動物系が似合うワタシ。。。
 
 
「ぶすのこぶ」ってなんじゃ~っとおもいましたが、
「ぶす」というのはその昔、
久慈渓流のくぼ地に住んでいた
「ブシ」と呼ばれるアイヌの一族のことなんですって。
時代を経て「ブシ→ぶす、くぼ地→こぶ」となり、
このネーミングになったのだとか。。。強烈な名前ですね。
 
北山崎を後にし、海岸沿いを進みます。
津波の被害のあった地域に入ります。
写真は防潮堤あるいは防波堤です。津波で破損しているように見えます。
 
 
 
 
このあたりの民家で5歳くらいの女の子が、
私達のバスに向かって手を振ってくれたので、手を振り返しました。
バスガイドさんがおっしゃるに、
「みなさんが訪問してくれることが復興につながっていると、
 地元の人は理解しているんです。だから小さい子も手を振るんですよ。」
 
 
田野畑町の松林のうち、津波の被害で2本だけ残った松だそうです(画面左側)。
バスの車窓からのため、1本だけしか写真に収めることができませんでした。
 
 
田野畑村の「ホテル羅賀荘」です。
津波の被害を4階まで受けたそうです。 
 
田野畑町の平井賀川の水門です。
三陸鉄道の車両をかたどったデザインになっています。
バスガイドさんによると、津波の際この水門を閉じたそうですが、
結局車両の窓を割り、水が奥の田野畑駅近辺まで入り込んだそうです。
 
 
 
 
 
 
 
宮古市田老町を訪問し、地元の語り部の方から震災のお話を伺いました。
田老地区はこの115年間に3回も巨大津波の被害にあってきた町で、
今回は平均波高16メートルもmの大波が防潮堤をこえ、町並みがほぼ完全に失われた地域とのこと。
 
建物の土台がみられます。 
 
 
語り部さんのお話より】
・長さ2433m、高さ10m(海面から)の防潮堤があったが、今回の津波防潮堤を倒壊させました。
津波の高さは平均16メートルだったが、場所によっては40メートルにも達し、
その奥にあった津波用の防波堤(高さ10メートル)にぶちあたり、
避難場所であった小学校にまで到達しました。
・避難場所の小学校では託児所の赤ちゃんや高齢者施設のお年寄りまでが集まりました。
学校の先生はマニュアルどおり行動しているので、
「避難場所はこの学校なのだからここにいなさい」といっていました。
しかし、昔からこの地のことを知っている用務員さんが「裏山に逃げろ」と叫び、
中学生が乳幼児や高齢者をおんぶして皆で逃げたのです。
・なぜ防潮堤が倒壊したかというと、防潮堤は高波のためのもので国土交通省が作りましたが、
コンクリート、砂、コンクリート、砂を重ねて作るので、津波用ではなかったのです。
津波に対抗するには、コンクリートで作った防波堤が必要なのです。
今回、この防波堤を越えて津波が入ってきましたが、
防波堤が無駄だったかというと、そんなことはありません。
この防波堤は津波の威力を弱めてくれました。
・防波堤をもっと高くすべきとの声もありますが、高くすればよいというものではありません。
高くしすぎると景観が損なわれ、空気の流れも悪くなります。
防波堤はあくまでも津波の威力を弱めてくれるものとし、
日ごろから防災訓練をする必要があるのです。
 
 
津波で破壊されなかった、堅牢な防波堤の上からの眺めです。
様々な機材が倒れています。
 
同じく、防波堤からの眺めです。
十字路が見えますが、津波の被害が多い地域のため、
万一のときに逃げやすいよう、十字路の角はなくしているそうです。
 
山の手前あたりに、ショベルカーがあり、街の人々の思い出の品がうずたかく積まれています。
 
防波堤から海を臨んだ眺め。
海の近くには倒壊してしまった防潮堤があったのです。
 
語り部の方のお話】
「防波堤から防潮堤の間の土地に建物が建物が建っていたが、
 これからは建てないように皆で監視をしていくつもりです。
 だって、おかしいでしょう?防波堤より外に建物があるなんて。。。」
 
防波堤の上にあった、曲がった街灯。
津波の威力を感じさせます。
夜に津波に襲われたときのため、街灯を町中に立てていたそうです。
 
 防波堤の海側にあった階段の手すり。
 
 街の人々の思い出の品の数々が積まれた様子。
 
田老町では毎年津波のための防災訓練を欠かしていないそうです。
その結果、今回の津波でも素早く逃げることができたそうです。
普段から防災、そして助け合いの精神は育む必要があるのだと痛感しました。
写真は、田老町語り部さんにいただいたパンフレットです。 
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つづく