創造と破壊、その繰り返しがアートなのだ

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先日会った友人にこんなことを尋ねられた

定期演奏会の準備は、今何合目くらいまでできてるの?」

正直言ってこれは答えにくい


なぜなら

何合目くらいか
何割くらいか
を答えるには

到達点が明確で
不変のもので
なければならない

しかし
ピアノ演奏などのアートは
必ずしもそうではない

少なくとも
私にとってはそうだ

なぜなら
到達点は絶えず変化するものだから
変化するのがアートの面白さだから


たとえば
演奏会に向けて
どんなテーマにするか
どんな曲にするか
企画して告知する

その内容は原則変えずに
本番を迎える



問題はその後だ

演奏を創り上げる段階
つまり
ピアノの練習
MCの準備
の段階

この段階に入ってからは
到達点は可変なのである


たとえば
演奏会で弾く曲を練習していたとする

それが
或る日突然
これまでと違った解釈に変わる場合がある

いや
間違いなくそうなる

そして
新しい解釈に基づいて
弾き方を表現を見つめ直す

昨日までの解釈を破壊して
新たに創造していく

本番までの間
その繰り返しである

その繰り返しがアートなのだと思う


幸いなことに
これまでのところ
本番までの期間に
必要な気づきは必ず降りてくる

なので
演奏会を創る
と決意した時点で

あとは自然に身を任せていれば
準備ができて行く

ピアノに自然と向かいたくなるし
自然に気づきが降りてくる

舞台でお伝えしたい話題についても
情報が集まってくる



そう考えたら

「演奏会を創る」

と決めた時点で

10合目まで到達していると
言えるかもしれない


まあとにかく

アーティストにとっては
到達点は決められないし
決めてはならないと思うのだ

到達点を決めてしまったら
アートとしての伸びしろが
なくなってしまうような
そんな気がする
それに息苦しく感じる

やっぱり
自由にやりたいように表現する
それが
アーティストにとって
一番のよろこびだと思うのだ