2011年10月1日三戸素子ヴァイオリンリサイタル2011

【リサイタル概要】
三戸素子 ヴァイオリンリサイタル2011
  ピアノ:ティム・レーベンスクロフト
  『後期ベートーヴェンへの道
   ベートーヴェンソナタ第10番を巡って』
  2011年10月1日
  東京文化会館小ホール
 
【曲目】
ブラームス:ヴァイオリンソナタ第3番 ニ短調 作品108
バッハ:無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番 ト短調 BWV1001
バルトーク:ラプソディ 第1番(1928)
ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第10番 ト短調 作品96
 
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【経緯】 
 ベートーヴェンソナタ10番ってどんな曲だろう?」
 そう思い、主人とリサイタルを聴いてきました。
 
【感想】 
 三戸素子先生とはご縁があり、何度も聴かせて頂いています。三戸先生のリサイタルはプログラムに趣向が凝らされていて、ダイナミックでハートのある演奏に加え、プログラムの構成上からも説得力があると思います。
 私の感想としては、 『夢を見ているような』リサイタルでした。
 一曲目のブラームスソナタ第3番は本当に感動し、涙が出てきました。これは貴重な体験です。フレーズの歌い方が私の解釈とぴったりあっているせいでしょうか。朗々と歌いながらもフレーズの間に”適度な間”があり、心に食い込んできます。4楽章が終わったとき思わず『ブラボー!』と叫んでしまいました。
 そして最後のベートーヴェンソナタ第10番は、漂うような感じで始まり、再現部もなく、なんとも落ち着きのない印象です。しかし、第4楽章の最後に、ようやく現実の世界での飲めや歌えのお祭り騒ぎとなり、「私はこれまで夢をみていたのか?」と感じるような印象で終わりました。現実世界でよく言われる「成功」「勝利」といったものに疑問を投げかけているように感じました。
 
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以下はやや専門的な細かい情報なので、
興味のある方はどうぞ。。。
 
【プログラム構成について】
 今回の構成について、プログラムより引用します。「本日のプログラムは、ベートーヴェンソナタ第10番に焦点をあて曲目を組みました。・・・略・・・ベートーヴェンの作風について知っていたつもりでも、このソナタに関しては空をきるような実態を捉えられない距離を感じました。・・・略・・・今回、ベートーヴェンがこの境地を手に入れるために手放した、彼の大事な作曲技法のいくつかを、他の作曲家の作品で存在させて」、このソナタ第10番を無理なく演奏できるプログラム構成としたそうです。
 
【ヴァイオリンソナタ第10番について】
 ベートーヴェンの初期~中期にかけてはVICTORYに到達する作品が多いように思います。しかし、作品90番台から作風が変わってくるそうです。今回の作品96を三戸先生の解説を参考にしながら、超私的に超簡潔にまとめると下記の通り。
 
 第1楽章:切れ端を連ね、調整すら定まらない独特の浮遊感
 第2楽章~第3楽章:美しいがすぐに他のテーマに飛んでしまい、
              どこか不自然な進行
 第4楽章:ようやく幸福感のあるテーマが登場するも、
        次々に変奏され、「結局これも解決がもたらされない偽り        の幸せだったことに気づく」
 
 以下、三戸先生の解説より引用。
 「(第4楽章について)真の幸せを求めて彷徨うかのような幻想的な部分が、この曲の全てのクライマックスです。その先に今までの迷いを吹き飛ばすような、気が狂ったお祭り騒ぎがやってきます。・・・(略)・・・この終わりの部分で、私はこのソナタ第10番がまだ完全な「後期」作品ではなく、実験段階なのだと確信しました。どのような終わり方にせよ、彼はまだしっかり現実に戻して音楽を終わりたいのです。曲冒頭から支配する浮遊感は、最後に大団円に落とし込むための準備で、それは彼の円熟期の手法の範囲内です。作品番号が100番を越えた辺りから、彼は最後になっても異次元から戻ってきません。この世にいる私たちには、彼の存在は朧げにしかわからなくなります。そんな異次元へのワープを可能にしたのは、巨人ベートーヴェンや天才モーツァルトの「後期」にのみ共通した四次元的な音の力学を操る神業だといえるでしょう。」