低価格商品は誰かの犠牲に成り立っているのかも。。。

ラーメンチェーンの幸楽苑が、290円のラーメンの販売を中止するそうだ(Yahooニュースより)。
この低価格なラーメンは、10年ほど前から幸楽苑の看板商品だったというが、当初は全売上高の32%を占めていたものの、現在では17%に落ち込んでいるとのこと。
そのため、2015年4月から500円台の醤油ラーメンに主力商品を切り替える方針。
 
推測するに、シェアが落ち込んでいるのを逆手に取り、高価格な商品を投入し、顧客単価を上げる戦略なのでしょうね。
 
低価格な商品から少し高価格なものへと路線変更するケースを聞くけど(マ○ドナルドとか)、一度低価格で慣らされてしまったお客さんは、高価格にシフトしたとたん、別の店に行く可能性があると思う。
 
幸楽苑のケースでいうと、290円のラーメンを注文していた17%のお客様がそっぽを向いてしまう可能性がある。
 
企業の路線変更、というのは、既存のお客様の一部を敵に回してしまうことにもなりかねない。
あなたはこれからはターゲットのお客様ではないですよ。」と言っているようなものである。
 
しかし、低価格商品で勝負するのは企業にとっても企業で働く人にとってもうまみはないと思う。
 
たとえば、こんなニュースも見た。
 
すき屋は深夜に店員1人で店を切り盛りする勤務体制を見直した結果、次期決算で赤字に転落する。
 
餃子の王将は未払い賃金を支給するなどしたら、9月の中間決算が大幅減益となった。
 
これは、企業で働く人々にまっとうな対応をしたら、企業が赤字になっちゃうということ。
ということは、働く人々の犠牲を踏み台にして、安価な商品を提供し、企業が潤ってきたことを意味する。
 
過剰労働、賃金未払いに基づいた安価な商品が売れすぎる社会は病的だと思う。
 
こうした事実を眺めてみると、ある程度は高価格な商品を、消費者側も買うようにして、お金を回していくことが必要なのだと思った。
(もちろん、あまり気前よく払ってばかりでは、消費者側が赤字になってしまうので、資金繰りは必要だけれど。)
 
「この商品がどのようにして成り立っているのか?」ということを少しばかり考えてみようかと思う。